東海村の歴史2

昭和30年に東海村ができて以降、早い段階で日本原子力研究所の設置が決まったこともあり、他の市町村とはまた違った形で村が成長していくことになりました。

昭和50年代に入ると、それまで以上に様々な施設ができるようになります。
村民のための清掃センターが誕生したり、青年の家が誕生したりなど、他にもあらゆる施設がオープンすることになります。

昭和50年には人口は2万5千人ほど、そして50年代が終わる頃にはなんと3万人を突破しています。
とても華やいでいた時期なのでしょうが、東海まつりが行われるようになったり、また東海音頭も生まれています。
ちなみにこの東海音頭は人気歌手の都はるみさんが歌っているので知っているという人も多いかもしれません。

そして記念すべき昭和56年には、アメリカにあるアイダホフォールズ市と国際親善姉妹都市となっています。
今でこそ姉妹都市を結んでいるところは多いですが、このころはまだ珍しかったかもしれませんね。
それだけではなくて、その翌年にはイギリスの首相にして世界的に名の知れたサッチャー首相が東海村に訪れています。
海外の首脳が日本の村を訪れるというのはなかなか考えられることはありませんから、東海村は非常に貴重な経験をしているといえます。

昭和50年代の後半になると、前半以上に活気づき始め、総合体育館、保健センター、東海スイミングプラザが次々と出来上がり、東海村に住む人の生活レベルは飛躍的に向上したのではないでしょうか。
それ以降、平成に入る前に、村民憲章が作られたり、芸術祭が開催されるなどしました。

このように昭和時代の東海村を振り返ると、ビックリするようなスピードで発展していることに気づくことができます。

平成に入るとアイダホ州が誕生して100周年を祝う形で、東海村の人たちが姉妹都市でもあるアイダホフォールズ市を訪れるといった交流もしています。
そしてついに平成3年には、東海村の美しい景色が「東海十二景」に選出され、それを見るために多くの人たちが押し寄せることとなり、結果的に村の知名度もアップしました。

平成3年になるとひたち海浜公園の一部が開園して、翌年には新しい清掃センターと衛生センターが誕生し、運用されることになりました。

それ以降は、原子力関連やその他様々な出来事もあり、平成17年にはエコりんというレンタサイクルサービスが生まれています。
今でこそレンタサイクルはメジャーですが、その当時は目新しかったかもしれません。

東海村の歴史は非常に興味深いものとなっています。