東海村の歴史1

東海村の歴史をさかのぼることによって様々なことを知ることができます。
比較的知名度が高い村ではありますが、村民ですらまだまだ知らないことが多いです。
よく「郷土史」を研究している人もいますが、実際問題地元の人の多くが注目していません。
しかしこの村の歴史は他の地方自治体とは一味も二味も違うので是非とも知っておくべきではないでしょうか。

古くから人が住んでいたようですが、確実性の高い地域情報が残されているのは平安時代以降ではないでしょうか。
久慈郡に所属していましたが、戦国時代には那珂郡に、そして江戸幕府が開かれる少し前に御三家の一つでもある水戸の徳川家に支配されるようになりました。

明治時代には駅ができるなど発展を見せ、昭和に入ると東海村という名前が誕生するようになります。
これが昭和30年のことで、その翌年には早速日本原子力研究所が作られることになりますが、これだけ古い歴史があったことはあまり知られていません。
東海村と原子力は切っても切り離せない間柄にありますので、東海村の歴史を学ぶ上で必ず覚えておくべきです。

それから数年の間に、研究用原子炉が臨界したり、東海製錬所ができたりなど、すごい勢いで発展しています。
決して地理的に便利とは言えませんが、原子力との関係性もあって、独自の発展を遂げてきました。

昭和39年には母子保健センターができ、翌年には東海中学校の新しい校舎が建てられ、そしてさらに翌年には、新しい村役場が建てられています。

そして昭和40年代に入っても原子力関連の事業は東海村で進められ、原電・東海発電所の稼働、他にも動力炉・核燃料開発事業団関連の事業所が誕生したりなどしています。

東海村の公式サイトには歴史が記されていますが、やはり原子力関連のものが多くなっています。
ある意味ではこういった事業とともに発展してきたといっても過言ではないのかもしれません。

スポーツ面では、昭和49年には国体のホッケー競技が東海村で開催され非常に盛り上がりました。
この年には天皇陛下と皇后陛下が東海村に訪れておられます。

多くの地方自治体は人口減少に歯止めがかからなくなっておりその問題に直面して悩んでいる所が多いです。
特に地方にある村であればなおさらですが、東海村は長い間右肩上がりで人口が増加している点も見逃すことはできません。

東海村ならではの特殊な歴史を勉強することで、いろいろと分かってくることも多数あると思います。